LOGIN部活が終わり、瀬戸先輩は私が着替えて出てくるまで急かすでもなく、ただ無言で待ってくれていた。駆け寄る私に、ふわりと微笑む。
「凜ちゃん、お疲れ様。喉、乾いてない? どこか寄って帰ろうか?」
自然と隣を歩き、手を繋ぐ先輩。絡められた指がくすぐったくて、頬が熱を持つ。先輩はそれに目ざとく気づくと、顔を近づけそっと囁いた。
「凜ちゃん、意識してくれてるの? 照れてる……可愛い……」
色気の乗った声に、背筋が粟立って更に熱くなってしまう。
「いや、これは、その、部活後だし……まだ、冷めてないだけで……」
だけど、私の心臓はうるさく鳴っていて、その音が先輩に聞こえてしまわないかと心配したほど。ただの言い訳でしかないことは、私も分かっていた。
先輩は、それでも優しく微笑んでくれる。
「ふふ、そんなに緊張しないでよ。なんかね、昼休みに話せて、すごく落ち着いてるんんだ。もちろん、凜ちゃんに触れたいのは変わらないよ? できるなら、今すぐ連れ去りたい……でも、それが凜ちゃんのため
瀬戸先輩と一緒の帰り道。 それはほんの小さな変化だけど、私にとっては大きな意味を持っていた。今まで特定の誰かと親しくしないようにしていた私は、友人と呼べる人が少ない。クラスメイト、それが一番しっくりくる名前だった。 でも、今隣にいるのは確かな好意を感じている人で、私を想ってくれている人。 少しくすぐったいけど、心が温かくなるのが分かる。 考えないといけないこと、向き合わないといけないことは多い。 だけど、先輩がいてくれるだけで、心が強くなったように感じた。 「凜ちゃん、あんまり自分を責めないで。君は優しいから、全部自分で背負っちゃいそうで怖いよ。俺もいるんだから、頼ってくれると嬉しいな」 先輩は私の顔を覗き込み、ふわりと微笑んだ。胸がきゅうっと締め付けられ、頬が熱くなる。こんな気持ち初めてで、どう返事したらいいのか分からない。 言葉に詰まる私に、先輩は優しく寄り添ってくれた。 「凛ちゃんって、人に頼るの苦手そうだよね。今まで『オウジサマ』って呼ばれて、頼られてばっかりだったんでしょ?」 その問いかけに図星を刺され、思わず視線が泳ぐ。昨日の朝、中庭で話していたことだけど、今では少し意味が変わっていた。 先輩は、素の私を知っている。幼稚園の頃の、まだ『王子様』じゃない私を。 「……そう、ですね……ずっと頼られて、それが当たり前で……家でも、学校でも、気が休まるところはありませんでした……」 お母さんがこだわる『王子様』は、同級生には都合のいい存在だった。何を言われても笑顔で返し、求められるものを差し出してきた。そうしなければ、息ができなかったから。 先輩は静かに聞いてくれる。繋いだ手をしっかりと握り、もう片方の腕で抱きしめてくれた。背中に回された腕は、想像よりたくましくて、力強い。「うん……凛ちゃんはいい子だね。昔と変わらない……ボクの……俺の、凛ちゃんだ。これからは俺がいるから、我慢しなくていい、頼って、なんでも言って。俺は何があっても、凛ちゃんの味方だから」 暖かい腕の中で、視界が滲む。「先輩……ゆう、ちゃん……私……『王子様』なんて……やだよ……女の子だもん……ただの……女の子……だから……」 先輩は背中をさすり、何度も頷く。「うん、凛ちゃんは女の子だよ
「知った風な口きくなっての」 私は握られた手を引き抜き、おしぼりで拭いた。その行動に、デカブツは苦笑いを浮かべる。「あ、ひっどい。素直じゃないな~。そういうとこも好き」 それに虫でも見るような目で応え、私は立ち上がった。「うっさい、ドMかっての。もういいでしょ、十分付き合ってやったし、私この後に塾あんのよ」 財布を取り出して千円札をテーブルに置くと、私はキッとにらんだ。「もう付きまとわないで。私、男って信用できないから。それじゃ」 さっさと立ち去ろうとすると、デカブツはまた手首を掴む。 舌打ちして振り返ると、思わず息を呑んだ。「俺、諦めないよ? 絶対、由香里ちゃんの彼氏になってみせるから」 色気を含んだその瞳は、まっすぐ私に向けられている。 今まで寄ってきた男とはまるで違う――熱。 射抜くような眼差しに、私は視線を逸らした。「ふ、ふん。いつまで続くかしらね」 掴まれた手を振り解き、足早にカフェを出る。 いつまでもいたら絡め取られそうで、逃げるようにして塾に向かった。 クラスの扉を開けると、一斉に視線が集まる。同じ地域の子が集まるから、私の噂も筒抜けだ。居心地の悪さにも慣れて、いつもの席に座る。ひそひそと嗤う声が聞こえるけど、もうどうでもよかった。 凜くんと和解できたことは、私に大きく影響している。今まで噂に踊らされ、自分でビッチを演じてた。 それが楽だったから。 でも凜くんが向き合ってくれたことで、変化してきている。噂なんて、他人の勝手な妄想に過ぎないし、自分が違うと信じていれば、おのずと理解してくれる人が現れるのもなんだって。 凜くんは瀬戸先輩を悪く言った私に、律儀に謝ってくれた。だからこそ、私も凜くんを信じられたし、江崎先生という大人の理解を得られたのも大きい。 もしあのままだったら、私はどうなっていたんだろう。 まだ噂に怯えて、蹲っていただろうか。 まだ凜くんを守っているつもりで、自分を守って
静かなカフェの店内に、ゆったりとしたジャズが流れる。 握りしめた拳にデカブツの大きな手が乗せられているのを、私はじっと見つめた。私の手なんて余裕で覆う、男の手。ビッチだなんだと噂されて、まともな奴なんて寄ってこない。みんな、身体が目的の奴らばっかり。 でも、この手は違うような気がしてしまった。「……なにそれ……同情のつもり? そんなんで落ちるって思われてるのかしら?」 見た目だけで判断されて、事実は捻じ曲げられる。こいつも、私と似たような経験をしてきたんだ。 なのに――。「違うよ。だって君、そういうのが一番嫌いそうだもん」 そう言って、小さく笑う。私は顔を上げられず、空気だけが漂った。デカブツは私の手をさすりながら、ぽつぽつと言葉を落とす。「朝の騒動の後にさ、君のことを聞いて回ったんだ。俺は噂だけしか知らなかったからね。そしたら新堂さんの追っかけだって言うじゃない? それって、新堂さんは他の奴らとは違うって思ったからでしょ?」 心を見透かされたような指摘に、唇を噛みしめる。 図星だったから。「アンタに……何が分かるのよ……」 そう言ってみても、強がっているのは丸分かり。大きな手が、私の拳をきゅっと包んだ。振り解きたいけど、今の私にはそれだけの余裕がなかった。 思い出すのは、あの体育の日。 バスケットの流れ弾から私を助けてくれた凜くんは、他の人みたいに私を嗤わなかった。怪我はないかって心配してくれて、自分の不注意だって言ったんだ。凜くんはその時、見学してただけなのに。 他のクラスメイトは凜くんに注意してた。私は問題児だから、あまり関わるなって。 だけど、凜くんは少し困った顔をして、念のために保健室へ連れて行くと言いながら、その場から連れ出してくれた。そっと肩を抱いて『大丈夫だよ』って……。 凜くんの噂は、当然私も知ってたけど、どうせ周りに良いを顔したいだけの『王子様』だって思ってたんだ。 その時までは。 実際に接した凜くんは優しくて、かっこよくて、
黒い髪、大きな体、鋭い目つき、気崩した制服。 見るからに、ヤンキー。 誰でも口を揃えるであろうその姿は、窓から差し込む光に照らされ、柔和に表情を綻ばせている。 むぅ、と口を尖らせると、そいつは何故か頬を染める。「可愛い……」 その言葉に、私はカッとなってしまった。「あんたね……さっきっからそればっかりじゃない。ハッキリ言って、迷惑なのよ。ただでさえビッチだなんだって言われてるのに、あんたみたいなのに付きまとわれたら、噂は本当ですって宣伝してるようなもんだわ」 最後の一口にフォークを刺すと、デカブツに突きつける。「何が目的か知らないけど、金輪際、私に関わらないで」 そう告げると、ぱくりとケーキにかじりつく。 それなのに……!「それは無理かな。何度も言ってるけど、俺は由香里ちゃんが好きなんだ。これは譲れない」 いい加減しつこいな、こいつ。「だからさー、ぱっと見が好みだっただけでしょ? そんなんで『本気で好きだ』なんて言われてもねぇ。私にだって好みはあるし、あんたは私の好みじゃない。諦めて」 フォークを置いて席を立とうとすると、太い腕がのび、私の手首を優しく、でも力強く掴んだ。「じゃあ、君の好みを教えて? 俺、君に好かれるためなら、なんだってする。勉強でも、スポーツでも」 真剣な瞳で見つめられ、思わず視線を逸らした。「そ、そんな言いなりになる奴なんて嫌い……お生憎様でした、私、自分を持ってる人が好みなの。あんたとは真逆ね」 だけど、デカブツはぷっと吹き出し、小さく笑うと私を正面から見つめる。「へぇ……自分を持ってる奴……か。それなら俺はピッタリじゃない? 俺は好きな子のためなら何でもする。好きな子は、何をしてでも捕まえる。それが、俺の『自分』だよ」 その答えに、私はぐっと唸る。 だって、それは私が持っていないものだったから。 震える手で拳を握り、目の前の男を睨みつける。「……言うじゃない……そこまでして
部活へ向かう凜くんを見送って、私も帰り支度を済ませ廊下に出ると、横から腕を引かれた。ギョッとして振り向くと、そこにはあのバカがいるではないか。「な……なんであんたがいるのよ!?」 でっかい体でどこに隠れていたのか、そいつはにんまりと笑い、私の腕を掴んだまま昇降口へと足を向ける。「ん~? そりゃ由香里ちゃんを待ってたに決まってるでしょ? 口説くにはやっぱりお茶するのが手っ取り早いよね? 駅前のカフェに行こ。美味しいケーキがあるんだ~」 何こいつ!? ぱっと見は硬派なのにケーキ!?「ちょ、誰が行くか! 離せ変態!」 必死に抵抗してみても、暖簾に腕押し、ずるずると引きずられていく。廊下ですれ違う人達が何事かと注目してきて、恥ずかしいったらない。 手をほどこうとしても、ぶっとい指はびくともせずに、しっかりと私の腕を掴んでいた。筋張った手の甲に、一瞬ドキッとする。 大きくて硬い、男の手。「あ、赤くなった。少しは意識してくれてるんだ?」 その言葉にぐっと唸る。「違うってーの! いいから離せ!」 途中で江崎先生が向こう側から歩いてきたから、助けを求めた。「江崎先生! 助けて! 埒られる!」 だけど、先生は私じゃなく、このデカブツに笑いかける。「日下くん、あまり無理強いしないようにね。不純異性交遊はダメだよ?」 は? なんじゃそりゃ!? 先生の言葉に混乱していると、デカブツは照れながら返事を返した。「はーい。気を付けまーす」 全然気持ちの籠っていない返事に、ハッと我に返って先生に腕を伸ばす。「先生!? 可愛い生徒が攫われようとしてるんですよ!? 助けてくださいよ!」 そう懇願しても、手を振って遠ざかっていく江崎先生。「ちょ、なんで!? 朝は庇ってくれたのに!」 デカブツに引きずられながら、虚しい叫びが廊下に響いた。 そして今。「そんなにぶー
凜ちゃんが悲しそうに笑うのが、胸に刺さって痛い。 俺がもっと大人だったら、こんな顔させずに済んだんだろうか。 背が低くて童顔な俺は、格下に見られることが多くて、喧嘩を売られては片っ端から買っていた。舐めれてたまるかと気張って、失っていた記憶が焦燥感を掻き立て、いつもイライラしてた。 事件があった日、凜ちゃんの母親に刺された日だ。あの日はたまたま通りがかった人が救急車を呼んでくれて、命を取り留めた。でも雨に打たれて出血が止まらず、危険な状態だったらしい。 目wお覚ました時には、もう凜ちゃんのことを忘れていて、幼稚園で過ごした時間も朧気だった。だけど、何か大事なものを失った焦燥感だけは強く感じる。幼かった俺はその感情を整理できなくて、足りない存在を言語化できず、物に当たったり、ただ泣く日が続いていた。 両親も刺激しないように幼稚園のことには触れなかったから、思い出すきっかけもなかったし。心療内科にも連れて行ってくれて、カウンセリングを受けさせてくれたことには感謝してる。 お陰で表面的には落ち着いたけど、精神の奥底にはまだ、凜ちゃんの欠片が燻り続けていた。 そんな満たされない気持ちを隠しながら中学に上がると、藪を突く奴らが現れる。放っておけばいいものを、わざわざ近付いて、ずかずかと人の心に土足で踏み込む奴らだ。 最初は無視してた。 それでもしつこく絡んでくる奴らに反撃してしまったのが、俺の唯一の過失だと思う。アイツらは人を攻撃するのが好きなくせに、自分が攻撃されると途端に被害者ぶるから。 だけど、自分が強いことが分かって、どうしようもない衝動を発散できたのが快感になっていった。喧嘩してる時だけは、忘れることができたんだ。 そんな俺が、凜ちゃんみたいに純粋な子に付きまとうのは、彼女の将来を邪魔することなのかもしれない。冤罪も多いけど、実際にケンカしていることに間違いはないから。 それに、彼女の母親が殺傷事件を起こしたなんて、言えるはずがない。 凜ちゃんは優しいから、きっと罪悪感で潰れてしまう。 今だって、自分を責めてる。
「か、可愛くないです……」 俯きポツリと零すと、先輩は黙ってしまった。 どうしたのかと顔を上げると、そこには少しだけ怒ったように仁王立ちする姿が。「凜ちゃんは可愛いの! 自信持ちなよ、少なくともボクは可愛いって思うから」 そう言ってまた頭を撫でる。その温もりに、じんわりと心がほぐれていく。満足したのか、先輩が手を引くのを名残惜しいと思ってしまう。「ふふ、やっぱり先輩はいい
翌朝、私は日直のために、早めの登校をしていた。いつもと違う空気感と、静かな校舎は心が休まる。まだ誰もいない教室で、花瓶の水替えや日誌の確認を行う。日直はもうひとり男子がいるけど、サッカー部の朝練のために今はいない。 私の剣道部は柔道部と練習場所が被っているため、朝練ではなく放課後に重点を置いていた。この高校の柔道部は強豪だから、そちらが優先されてしまうのは仕方がない。 一通りの仕事を終えると、黒板の端に消し忘れを発見する。(確か、昨日の日直は兼崎くんと櫛原
先輩との時間は何故か心地よくて、このままずっとこの時間が続けばと思ってしまう。 それも徐々に生徒が増えてきて、あっけなく終わってしまうのだけど。「凛くーん! おはよ……って、何してるの!?」 眞鍋さんが私を見つけるやいなや、血相を変えて腕を引く。細い体のどこにそんな力があるのか、連れ去られるようにして背後を振り返り、先輩に手を振る。「せ、先輩! また後で!」 先輩は笑顔で見送ってくれて、ほっと胸を撫で下ろした。校舎に入ると、眞鍋さんは怒ったように私を見上げる。「もう! 凛くん、あの人は危ないって言ったでしょ!? 気を許しちゃダメ!」 先輩を悪く言う眞鍋さんに、妙に心がザワついて
ちょろい奴。 階段を登っていく後ろ姿を見送りながら、俺は鼻で笑った。ちょっと可哀想なセンパイを演じてやったら、アイツすんなり信じてやんの。 ま、教室が居心地悪いのは本当だけど。 その上『お昼ご飯をご一緒に』ときたもんだ。これこそ飛んで火に入る夏の虫。アイツの化けの皮を剥がすには、絶好のチャンスと言える。 初対面が今朝だから、まだまだ探りを入れないとな。 アイツを知ったの